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インタビュー

生まれも育ちもカタシナ人

松浦 和男 さん
 
1940(昭和15)年尾瀬の玄関口である片品村の戸倉地区出身。生家は尾瀬に荷物を運ぶ馬方の元締で、1954(昭和29)年から尾瀬で働き始める。1990(平成2)年に「片品山岳ガイド協会」を設立、現在は会長を務める。尾瀬保護財団評議員。戸倉で民宿「ロッジまつうら」を経営。

(聞き書き)尾瀬で働いて60年。ガイドや救助、保護活動にも尽力する尾瀬の生き証人

どんな活動をしていますか?

 父親の代から、尾瀬の長蔵小屋・弥四郎小屋・檜枝岐小屋・竜宮・東電小屋に荷物を運んでた。尾瀬小屋・原の小屋・燧小屋なんかは、小屋を建てる時の資材を全部うちで運んだんだ。当時は建物そのものは尾瀬にある木を払い下げて現地調達したから、畳や建具や布団・造作材っていうんだけど、そういうのは、ヘリがねえわけだから、人が背負ってかないと品物いかねえわけ。

 夏になると馬で行くんだけど、水芭蕉が終わるまで(6月頃)は雪があって馬が行かねえんだよ。春先頃、ある程度雪が固くなるでしょ、圧縮されて。冷えた時は足跡がつかねえくらい雪が固くなるの。そこを人が歩いて、雪の上を背負ってったんだよ。その頃が一番クマが出る時期なの。5月に入ってさ、冬眠から出るでしょ。その時に荷物背負って行ったり来たりしてる時に、クマの足跡がつくんで、それを追っかけて。その時はクマの胆が高く売れたから。クマ一頭取ると、春中の仕事しなくていいくらい、普通じゃ稼げないくらいの金額だった。金より高かったんだ。そいで仕留めると、肉は美味しいし毛皮はいいっぺ。脂はたっぷりある。だから全てが商品なんだよ。捨てるとこねえ。骨を捨てるだけだから。燧小屋を建てた平野輿三郎さんていうすごいマタギの人がいて、春の穴熊(冬眠から覚める頃のクマ)も追い出してとったりね、いろんなことした。だから動物のことは知ってんだ。

 昔はどこの小屋も、5月から6月にかけて、山小屋で木を切って薪を作ってたんだよ。でかいのを何本か払い下げて、一箇所切らねえように、一本切るとあっち一本て。一箇所切るとがらんどうになっちゃうから。それを毎年場所変えちゃあね。雪下ろしもしなくちゃならないし、4月になると全部の山小屋がみんな山にこもってたわけ。木は雪があるうちに出さないと出せねえわけ。重たいもんだから、雪を利用するしかないわけ。ヘリがねえ時だから。朝、夜明けと同時に仕事して、雪が緩んでくると、はあ(群馬弁で「もう」の意)ダメなんだ。10時までが勝負だね。あとは運んだやつをノコでタマギ(丸太)にして。とにかく一本切るったって、手でやるんだから時間がかかるわけ。

 その時にカモシカの毛皮、敷き革に一番いいんで。クマだとかシカだとかはダメなんだ。カモシカは雪の上に敷いとけば、尻が逃げねえわけ。クマはダメなんだ、ツルツルツルツルすべっちゃって、雪の上で動いて。カモシカは雪の中にポンッと敷いとけばもう、ケツはポカポカして濡れないし、1日作業してるわけ。1年分の薪を切って割って積んでっていうと、その作業一ヶ月くらいかかるの。

はじめたきっかけはなんですか?

 自分は家の手伝いで、中学2年の夏休みから、戸倉から長蔵小屋や温泉小屋まで馬ひいてたね。40kmくらいあるんかな。全部日帰りで。夏はまだ日があるからいいんだけど、秋はもう富士見下まで来ればほとんど暗くなって、暗闇を1時間くらい歩いたんだ。それをほとんど毎日だからさ、ほいだから大変な仕事だよ。うちが元締だからね、休みってのはなかった。台風が来たとか集中豪雨とか、関係ねえわけ。雷なんてドッカンドッカン鳴ってたって、その中歩って行ってくんだもん。ラジオで天気予報が流れるでしょ。そうするとお客さんから電報が来るんだよ。天気が悪いので中止しますって。それを小屋に持ってかなきゃなんねえ。電話も無線もねえから、人が行って初めて連絡だから、それを持ってくのが大変だったよ。ゴムのカッパに地下たびで。それ以前は尾瀬の中はワラジだった。足袋にワラジ。湿地帯だし木道もねえから、全体がジメジメしてるでしょ。だからどっちにしろ足は濡らさなきゃいけなかったわけ。だから各売店全部ワラジ売ってたんだよ。一番尾瀬歩くには楽だった。(尾瀬)沼から(尾瀬ヶ)原に行く人は、みんなワラジを履いてた。

 尾瀬に木道を敷く時は、移動製材って行って、移動できる製材所を山にあげたんだよ。そのエンジンがあげるんが重くってねえ。バラせないし、担いだり背負ったりでね、現場まで持ってくんが大変だったんだ。福島の方は昭和27年くらいからで、群馬の方は32年くらいから木道をどんどん延長して。最初は木道が一本だけだったから、向こうから来ると「降りろ」ってわけにいかねえから、ジャンケンして負けたら降りるってルールを作って、向こうに行くまでに何回もジャンケンして行ったんだ。昔は木道も、木の種類はなんでもよくて(現在は基本的にカラマツ)、枕木に直接置いてあるだけで湿原に触れてるから、秋になるとブナの木の木道なんかにはナメコがバーってできて、ナメコを取りながらいったり。魚を釣ってもよかったし、なんでもよかったの。昭和の34年頃に、初めて国立公園の管理官が尾瀬に入ったわけ。それまでは魚を取ろうが山菜取ろうが、ダメだったいう人がいないわけ。それで管理官が尾瀬にきたら、「それはうまくないでしょ」っていうことになってね。
(※尾瀬は昭和9年に日光国立公園の一部として国立公園になり、平成19年に尾瀬国立公園として分割新設された。特別保護地区のため、現在は全ての動植物の採集が禁止されています)

 人が入ったもんでだんだん、変わっていったの。ワラジの時はそんなに歩いても湿原は痛まなかったんだよ。キャラバンシューズっていうのができて、歯がついてるから葉を切っちゃって、痛みがひどくなって。だんだんそういう道具の進歩や人が増えたりで、変わっていったわけ。アヤメ平が特別ひどかった。あそこは「天上の楽園」って綺麗なとこで、尾瀬に入った人が全部あそこで遊んだから、なくなっちゃったんだ。昭和30年代は木道もねえし、飯食ったり遊んだり自由だったから。花の脇で写真撮りたけりゃそこ行って、踏み荒らしてたけど、それはその時は悪くはなかったんだ。それで見た目もどんどん植物がなくなって、これは保護しなきゃって話になって、私なんかも青年団やなんかで行ったりして色々したよ。

(※アヤメ平は現在でも関係機関により植生復元の活動が続けられています)

一番大切にしていることはなんですか?
今後の目標を教えてください

 4-5年前までは、夏はガイド、冬はスキーのコーチの仕事で。最近は、ガイドの仕事は忙しい時はしてるけど、毎日年寄りが出ると若いてい(衆)が出来なくなるでしょ。だからピンチの時以外は、うち(民宿)の仕事をやったり調整してる。山から木を切り出して自分で小屋つくったりさ。この建物(私設資料館の「おぜの山遇楽」)に使ってる木も、全部自分で片品の山から切った木だもん。木を見るのが好きで、今もそういうのをやってるから、暇ってことはねえんだ(笑)。キノコの菌を駒植えしたりさ、何かしらあるわけ。その合間に動物の毛皮を剥いたり、何かを作ったりね。写真も撮るから、整理したりね、忙しいんだよ(笑)。

 ここ(おぜの山遇楽)はね、尾瀬に関わって50年の節目に、何か尾瀬に関わったものを作っておきてえなと思って作ったの。若い時は、鉄砲も撃ったし、何か今までしたものを集めたいなと思って。色々案を出したんだけど、名前つけるんが一番よいじゃなかった(大変だった)。意味合いとするとね、尾瀬というか山に来て、思いがけない出会いがあって楽しかったですよ、って意味なの。玄関に蔵の戸を入れて、土蔵みたいな、蔵に何が入ってるんかな?って意味もイメージしてる。

 今ちょっと残念なのは、尾瀬が鹿に食われたりで少しずつ痛んできてるでしょ。鹿は本当に何とかしないと。鹿ってのは日光の方に行かないといなかったんだよ。こっちにいる動物じゃねえから。雪が降ると鹿は動けなくなって死んじゃうから、雪が少なくなったってのが一番ね。温暖化もあるのかな。昔の人は天気や季節を予想できたんだよ。今は全く、こんなの初めてだってことが多すぎるよね。

 尾瀬は携帯が通じないけど、遭難したりした時に携帯が通じれば助かったっていう事例もあるから、昔は歩きながら通話するとうるさいっていう意見もあったけど、ごみの持ち帰りみたいに、マナーにしちゃえばね。今は若い人はメール送ったりで電話で喋らないでしょ。携帯が通じるようになってもいいよね。

 交通の便も、尾瀬は見て初めていいところなんで、鳩待峠だけじゃなく大清水の方も、もう少し交通の便が良くなって人が入るようになるといいよね。今は団体がみんな鳩待に集中してるから。最近外国のお客さんも結構増えてるから、外国語の標識なんかもしてもらえればなんて要望も出してるんだけどね。

 あと最近は日帰りのお客さんが多いけど、泊まってみねえと尾瀬の本当の良さは分からないんだよ。朝もやだとか夕焼けだとか。尾瀬の小屋はトイレも水洗だし、一人のスペースも広いし、他の山の小屋と比べると快適なところが多いから、もっとゆっくり楽しんでくれるお客さんが増えたらいいよね。

若かりし頃の和男さん。山小屋で使う畳も背負って運んだ。

和男さんが自ら獲ったり収集した貴重な資料の数々。「尾瀬の山遇楽(やまぐら)」に展示されている。

アピールポイント

早朝、条件がそろった時だけ見られる、尾瀬の「白い虹」。尾瀬に泊まった人でないと見られない貴重な光景。

■片品山岳ガイド協会

尾瀬は自力で行くこともできますが、現地の植物や歴史に詳しいガイドに同行することで、その魅力をより感じることができます。
片品山岳ガイド協会では、お客様のご要望に合わせた各種ガイドプランをご提案いたします。
また、尾瀬以外にも冬季のスノーシューツアーや雪山登山ガイドなども行っております。詳しくはお問い合わせください(電話:0278-58-7801)

まち冒険サイトには同ガイド協会のベテランガイド、
永井一弘さんのインタビューも掲載しています。
https://machibouken.com/keyman/detail/91

■おぜの山遇楽(やまぐら)

松浦さんが私財を投じて作った資料館。尾瀬に関する貴重な写真や標本などが展示されている。
開館時間 9:00-16:00
入館料 小学生100円、大人200円
普段は閉まっているので、「ロッジまつうら」へお問い合わせの上での来訪がオススメ。松浦さんの話を聞くこともできる。

■ロッジまつうら

尾瀬の入り口、片品村戸倉にある松浦さんが経営する温泉民宿。
ご家族連れはもちろん、合宿などでの利用も可能です。

TEL 0278-58-7341、0120-58-7341
FAX 0278-58-7320
住所 群馬県片品村戸倉609
http://oze-matsuura.com/